開けるまで何が入っているかわからない、ワクワク・ドキドキするような箱・・・
"玉手箱"と名づけられたこのページでは、代表取締役小山優子のベストセレクションの場として、皆さんに様々なことをご紹介させていただきます。
Q.この人は一体誰でしょう??
弊社ホームページをご覧いただくと最初に現れるこの謎の"おとうさん"。
以前より、後ろ姿が愛らしいと多くの方々にご好評いただいております"おとうさん"には、弊社の企業理念『Neighbor Mind 』の想いがこめられています。
いつもそっと寄り添い、笑顔の輪が広がるよう温かく導いてくれる・・・
ルルドコーポレーションはより多くの方々の笑顔と出逢うために、これからも心を尽して活動して参りたいと思います。
今後も様々なところに現れる"おとうさん"を皆さんぜひ温かく見守ってくださいね。
この"おとうさん"のモデルになった方をご紹介いたします。
信濃の国・長野で生まれ、若くして満州に渡る。戦争、2年間のシベリア抑留…決して楽ではない人生を送る。
戦後は愛宕警察署に勤務。信心深く、明るく、いつも人を笑わせどんな時も相手を気遣う人気者として、多くの市民に愛される町の警察官であった。
2004年肺がん末期で手遅れと告知されるが、自分に与えられた時間に全身全霊をかけて守るべき人を最期まで愛し生き抜き旅立った。
"人は愛する守るべき存在が生きる糧となって頑張れるものです"
I will remember forever…
大切な絵本との出逢い
友人から、プレゼントされた一冊の絵本「わすれられない おくりもの」は、かけがえのない人を失った悲しみ(喪失感)の時に、私の心を温かく包み希望を与えてくれました。
世界中で愛されているベストセラー「わすれられない おくりもの」を皆さんに紹介させていただきたいと思いました。
「まわりのだれからも、したわれていたアナグマは、年をとって死んでしまいました。かけがえのない友を失ったみんなは、どう、悲しみをのりこえていくのでしょうか…」
(絵本より引用)
ご縁があって著名なメダル作家と出逢うことが出来ました。素晴らしい作品である無原罪の聖母と聖ベルナデッタが刻まれた美しいおメダイを製作いたしました。
おメダイは一つひとつ祈りをこめて作られたものです。
表面 |
裏面 |
東京に生まれる。 | |
1971年 | 渡伊。ローマ国立メダル藝術学校(造幣局)に入学、フランチェスコ・ジャンノーネ氏に師事。 |
1972年 | 造幣局アントニオ・カノーバ没後150年記念メダルコンクールで最優秀賞受賞。 |
1974年 | ローマアカデミア彫刻家、ベリクレ・ファッツイーニ教室で学ぶ。 |
1976年 | サンレモ美術展'76に招待出品、特別賞受賞。 |
1977年 | ハンガリー、ブタペスト市での第18回世界メダル連盟(FIDEM)展に出品。 |
1979年 | 帰国。ポルトガル、リスボン市での第19回世界メダル連盟(FIDEM)展に出品。 |
1980年 | 東京JAMA国際藝術メダル協会主催、第10回国内展で造幣局長賞受賞。 |
1982年 | 同第12回展(大阪)にて造幣局長賞受賞。 |
1983年 | 同第13回展(東京)にて奨励賞受賞。 |
1985年 | スウェーデン、ストックホルム市第22回世界メダル連盟(FIDEM)展に出品。 |
1987年 | アメリカ、パームスプリング市での第23回世界メダル連盟(FIDEM)展に出品。 |
(有)正英の取締役である柿坪正晴氏とともに、アートメダルの制作と啓蒙に心血を注いだ。 | |
2013年 | 逝去。享年64歳。 |
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恵まれた医者の家庭の長女として生まれ、モーパッサン「女の一生」のような生涯であった。
六十の手習いで本格的に油絵を始める。
日本画家(能)杉村清興(すぎむら せいこう)さん、作家立松和平(たてまつ わへい)さん、文楽人形師四代目の大江巳之助(おおえ みのすけ)さん、文楽人形遣い吉田蓑太郎(よしだ みのたろう)さんとの出逢いのおかげで、絵に愛と情熱を注いだ。
"苦しみの中から絵が生まれる"と筆に精魂を込めて認知症になっても描き続け、多くの作品を残した。